チェリストであり指揮者でもある
パブロ・カザルスの演奏は、例えば「鳥の歌」という
タイトルで出ているホワイトハウスコンサートや、
バッハ無伴奏チェロ全曲などを良く聞いていました。
彼がまだ子供のころ、古い楽譜の束の中から
バッハを見出し、光を当て、この世にバッハを
復活させたというようなエピソードを知らずとも、
無伴奏チェロの演奏は素晴らしく、スクラッチ
ノイズの入る録音でも限りなく美しく感動的です。
彼が音楽の巨人であったかを示す逸話には
事欠きませんが、私はノーマン・カズンズ氏が
「笑いと治癒力」という本の中で披露している
情景描写がとても好きです。
それは何か一生を捧げ、一体となってしまった人に
起こる人生の完成形のようなお話です。
カズンズはカザルスの家を訪れ、朝、目を覚ました
時からの様子をこと細かく述べています。
そのときカザルスはすでに90歳にはなろうかという老人でした。
ベッドから起き出すのもひとりではかなわないほどで、
若く美しい妻マルタの手助けがいつも必要でした。
その妻に付き添われ、支えられながらやっとの思いで
リビングに出てくると、すでに準備されている朝食の
テーブルには向かわず、まっすぐにピアノへと向かいます。
背はまるまり、足を引きずりながら、小さな老人が
ピアノの椅子に腰かけます。
ところが、どうでしょう。
椅子に腰かけピアノに向かった瞬間に奇跡が起こります。
ピアノの白い鍵盤の上に置いた、ちぢこまっていた指は
まるで太陽を求める植物の芽のようにみる見る間に伸び、
背筋はいつの間にかしゃんとして、そこにはまさしく
熟達したピアニストが出現しているのです。
先ほどまで手を引かれて足を引きずっていた老人は
どこにもいません。
カザルスはいつもの朝のようにバッハの「平均律クラビアータ」を
弾きはじめます。
バッハはいつの間にかブラームスにかわり、
弾きはじめる前とはうって変って、カザルスはひとりで
すくっと立ち上がり、食卓に向かいます。
朝食を摂りながら快活におしゃべりをし、
楽しそうな音楽家がそこに出現します。
カズンズ氏は奇跡を目の当たりにしたと述べています。
音楽に生涯を捧げ、音楽と伴に生きた人間が、音楽と
一体となったとき、その時の身体の状態などを瞬時に
超越して、音楽と伴に快活に生きることができるのです。
ひとつのものごとをものにした人が起こす奇跡を
見事に現した光景を目撃したわけです。
音楽の波動が及ぼす奇跡は演奏する人だけでなく、
「ただ聞くだけ」でも十分に起こり得ます。
それが毎日、さまざまなところで起きています。
奇跡は毎日、どこにでも起きているのです。
カザルスの言葉**************
「私がもうたいへん若くはないというのは事実だ」と
96歳のカザルスはいった。「たとえば、私は私が
90歳だったころよりは若くない。
歳というのは相対的なものだ。
もしも私たちが活動しつづけ、私たちのまわりの
世界の美を自分に取り込むなら、歳を重ねるということは
老いぼれるということをかならずしも意味するものではないと
気づくだろう。いま私は90代だが、ある種のことは
若いころよりも強烈にかんじる。
そして人生は日々ますます魅力を増す」
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この言葉を遺し彼は97歳の人生を全うしました。
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